POLNARECORD fan michel polnareff / ミッシェル・ポルナレフ レコードカタログ  
Top  History France Japan
History 1944~1970 <Page //>           
1944 S19 7月3日、南フランスのネラクで生まれる
3歳 初めて”作曲”する。(口ずさんだメロディーを父親が書きとめる)
4歳 ピアノを始める
5歳 一家はパリに戻り、バスティー地区とレビュブリック地区の間に位置するオーベルカンフ通りに住む。アットメール・プリニエ教室とパリ国立音楽学院のソルフェージュ教室に通う。
11歳 パリ音楽院で平均年齢17才のカテゴリーのソルフェージュで1位を獲得。
13歳イギリスはDorsetにあるBournemouthの漁師宅を訪れ3ヶ月滞在した。 ソ連人工衛星打上
14歳 ロックンロールと出会う。 プレンダ・リーの"I'm sorry"やプレスリーの"Don't be cruel"
ジュイイーの中学(セーヌ・エ・マルヌにある寄宿学校だが、彼はそこに数ヶ月しかいなかった)へ進み、次いでフィデの学校(モンソー公園と目と鼻の先、ヴァンティック通りにある)に入学、オラトリオの合唱隊に所属した。
一万円札発行
1961 S36 (16-17)初めて受けたバカロレア(大学受験資格試験)の文学科に失敗。  ソ連、有人衛星打上成功
1962 S37 (17-18)大学受験資格試験に合格したが、兵役を勤める。 Montllucon(モリュソ)に配属されるが問題を起こしSt-Eulienに転属後され結局2年間の徴兵義務を7ヶ月で除隊。 キューバ危機
1963 S38 (18-19)銀行の帳簿係、盲人基金の為の絵葉書のセールス、保険会社の出納係、火災保険のセールスの仕事を行う。 パレ・デ・スポールでレイ・チャールズを見て陶酔。  この頃、「愛の願い」を作曲。 9月23日、ピーターポール&マリーをオランピアで見る。 ケネディー大統領暗殺
1964 S39 (19-20)銀行で一緒に働いていた友人にギターに打ち込む様に勧められHagstromの12弦ギターとマラブの教則本を入手。 3つの基礎コードを基に出来上がったのは「ノンノン人形」。 家を出てモンマルトンで生活をする。小さなバーでピアノを弾いたり、階段で歌った。 「Le Clandestin」というクラブで演奏。1965年の夏、コートダジュールまで南下していった。リヨンで立ち止まり、ボルドー方面へ寄り道し、そしてロンドンへ。いくつかのパブやクラブに出演しようと試みるがうまくいかなかった。 新幹線開通 東京オリンピック
1965 S40 (20-21)
モンマルトンを離れギターを片手に地方を横断。
10月、イギリスに渡る。 音楽出版社に”ノン人人形”を持ち込むがうまくいかず、1ヶ月パリへ戻る。
11月、「ロコモティーヴ」アマチュアロックコンクールの予選が行われる。 20人以上がレコード会社との契約、現金1000フラン、そして広告会社からの数々の副賞を目指して参加。11月12日、ポルナレフはジェリー・リー・ルイスの「火の玉ロック」を自分なりに見事にアレンジして予選通過。
1966
(S41)
21-22
ロルフ・マルボのところでスカウトをしていたジェラール・ウォーグを通じてヨーロッパ1とディスクAZのディレクター、ルシアン・モーリスと出会う。
2月12日、三人が勝ち残った「ロコモティーヴ」の最終審査が行われポルナレフが優勝する。 優勝者はエディ・バークレーのRockersというレコードと契約できるはずだったが、すでにルシアン・モーリスと契約していたため辞退する。
デビューシングルの準備が始まる。 ポルナレフは英語でレコーディングすることを希望したが、最終的にはフランス語で歌うことを譲歩した。3月初旬、レコーディングのためロンドンへ出発 
デンマーク・ストリートのサウザン・ミュージックのデモスタジオでレコーディングされる。
ベース:ビッグ・ジム・サリバン ギター:ジミー・ペイジ
ピアノ:レッグ・ゲスト ドラム:ボビー・グラハム
ルシアン・モーリスはロシア風の名前をアメリカ風に変えたらどうかと持ちかけるが拒否。 DISK AZと契約。
イギリスから戻った後はいつも通りLe Golf Drouotの舞台に現れた。金曜の「Tremplin」の夜だ。 彼はデビューシングルの歌と、クラシックロックの数曲を演奏した。彼にはまだ専属のグループがなく、だいたい一人で12弦ギターを弾いていた。

   
全日空機羽田沖墜落事故
カナダ太平洋航空機羽田空
港防波堤激突炎上
「黒い霧」事件で衆議院議員解散

国鉄最低運賃20円、タクシー初乗り100円、映画入場料500円、はがき7円、封書15円

ビートルズ来日
風に吹かれて
(ボブディラン)
GS登場

君といつまでも
(加山雄三)
こまっちゃうな
(山本リンダ)
いい湯だな
(デュークエイセス)
バラが咲いた
(マイク真木)
若者たち
(ブロード・サイド・フォー)
5 ”ノンノン人形” 僕のベロニック、ビートニク、恋人に捧ぐバラード
7日、TV初出演(2CH VIENT DE PARAITRE)          
25日、アルベール・レズネルの人気番組「Tête de bois et tendres années」に出演。
30日、Denise Glaserの番組「Discorama」ではビートニクの特集を組み、ポルナレフはノンノン人形を歌う。 当時の新聞の記録によると "ノンノン人形"は数ヶ月で20万枚の売り上げを記録する。 (これは現在の200万枚の価値に相当するといわれる)

”愛の願い”録音のために再びロンドンに向かう。
「愛の願い」アンチーブの金薔薇祭で審査員特別賞を受賞
6 1日、2枚目のEP盤”愛の願い”、君との愛がすべて、侮辱 が発売される。 SL誌で7/15-8/15まで「愛の願い」トップ、「君との愛がすべて」が第二位を記録する。 B面「君との愛がすべて」の歌詞が物議をかもし出す。
18日、テレビ番組「Douce France」、16日の「Jeunesse Oblige」に出演。
前座として8日からスタートしたクロード・フランソワのツアーに参加
8 「時代の流れだ。私は今日、新しい歌手の存在を知った。それはミッシェル・ポルナレフ。」 
(ジョルジュ・ポンピ ドー) 
L'EXPRESS 1966年8月8日号
日本でもポルナレフがテイチク・レコードから発売される。
「ノンノン人形」
9 サリュ・レ・コパン誌の撮影がアメリカで行われる。
10 "人生は星の流れ”、愛の証を、夜の鳥と一緒に、初めての愛 発売。
25日、ココ・ブリアヴァル、イブ・ローズ、Boby Lapointe,Casey Jones, アニー・フィリップ、The What's Newらとともにオランピアに出演。(BJサリバンがギタリストとして出演)
「ラヴ・ミー・プリーズ・ラヴ・ミー」
11 8日、ファーストアルバム発売  
12 その年活躍したアーティストが招待されるTV局主催大晦日のパーティに出席。ビュット・ショーモン・スタジオから生中継されたこ。
1967
(S42)
22-23
2 "君は友達”(TA TA TA TA)、愛の終わりに、哀れなギタリストの告白、ミカエルへの哀歌 発売
"君は友達”の歌詞の一部”TA TA”の解釈によりポルナレフがホモの嫌疑をかけられる。
ドイツ、スイス、イタリアツアー
ベトナム枯葉戦争
新潟水俣病裁判
リカちゃん人形
フーテン族
ミニスカート、ヒッピー

米10KG 1,180円、 新聞代580円

ミックジャガー、キースリチャード
麻薬違反で投獄
ビートルズ「サージェント...」

小指の想い出
(伊藤ゆかり)
真っ赤な太陽
(美空ひばり)
帰ってきたヨッパライ
(フォーク・クセダース)
夜霧よ今夜もありがとう
(石原裕次郎)
5 バラ色の心” 、ファットマダム、僕は蟻の王様、男は涙を流さない 発売
7 国内ツアー
10 5日~22日、ダリダの前座としてオランピアに出演。
11 君の幸福と僕の悔恨” 、ミス。ブルージーンズ、愛はあの人の胸に 発売
1968
(S43)
23-24
1 28日、テレビ番組「Studio 102」でサンディ・ショウと「愛の願い」を共演。 GNP世界第2位に
円谷自殺
深夜放送人気
金嬉老事件
イタイイタイ病
東大闘争
三億円事件

ビール127円、たばこ(ピース)50円、大卒初任給30,950円

モンキーズ来日
レッド・ツェペリン結成
ビートルズ・アップルレコード設立
サウンド・オブ・サイレンス

ブルーライト・ヨコハマ
(いしだあゆみ)
天使の誘惑
(黛ジュン)
恋の季節
(ピンキーとキラーズ)
小さなスナック
(パープル・シャドーズ)
愛の奇跡
(ヒデとロザンナ)
2 3日、番組「Tilt」で新曲「ラース家の舞踏会」、失われたマント、ショービジネス候補生、12章 が発表される。
7
セカンド・アルバム、「Volume 2」、EP盤”恋は人生の想い出” 偉大なる道徳感、門番の娘、オウルイ 発売

10   AZレーベルの発売権をもつ日本コロムビアよりシングル盤“ラヴ・ミー・プリーズ・ラヴ・ミー”が発売される。日本では1966年にテイチクからの発売に続くリバイバル発売となった。 日本コロムビアでは“MICHEL POLNAREFF”のカタカナ表記を「ミシェル・ポルナレフ」とした。
11 "愛の別離” リンガディン、悲しきマリー、おかしなジョー発売。    
12 4日、「Samedi et Cie」という番組でジャン・ルイ・バローの舞台劇“ラブレ”の音楽を担当することが発表される。
27日、「Quatre temps」でリンガディン、悲しきマリー、愛の別離を演奏。
31日、その年の人気アーティストが出演する番組「Surprise partie」に出演。
1969(S44)
24-25
2   悲しみの舞踏会
バラ色の心

ファーストアルバムが発売される。
アポロ11号月面着陸
大学紛争激しくなる
OH!モウレツ
ブーツ、パンタロン、
シースルー・ルック


理髪450円


ストーンズ、ブライアン・ジョウンズ
脱退、死亡
サンタナ、エルトン・ジョンデビュー


(シューベルツ)
時には母のない子のように
(カルメン・マキ)
夜明けのスキャット
(由紀さおり)
真夜中のギター
(千賀かおる)
人形の家
(弘田三枝子)
3 2枚目のアルバム "VOLUME 2"、ポルナレフの初期のロマンの結晶として高く評価され、シャルル・クロ協会のディスク大賞を受ける。
5 渚の思い出 シェリーに口づけ
28日、TV番組「Quatre temps」出演。
31日、「Chansons et Champions」に出演
うつりゆく日々
ピプレット
6 27日、「Tous en scène」がポルナレフを特集。

ポルナレフ作曲が使用されている映画「エロティッシモ」が公開される。 「つけまつげの女」
追わないで
可愛いシェリーのために
9   セカンドアルバム
3枚目のアルバム 「LE DISQUES D'OR DES DISQUES D'OR」発売。
内容は60年代のポルナレフの集大成ともいえるベストアルバム的な構成。
   
すてきなパリジェンヌ  
11 ステキなランデブー
思い出のシンフォニー
12  12月3日から8日にかけてはブリュッセルのアンシエンヌ・ベルジックで公演を行う。
 オランピアでのコンサートのリハーサルをブールジュにある文化会館やパリのレカミエ劇場で行う。
1970(S45)
25-26
1 1月14日~27日、アランピア劇場にてグランド・ウディト(第2部の真打)として、初の本格的リサイタルを行う。 日本万国博覧会
ビデオ・テープ誕生
プロ野球「黒い霧」
よど号ハイジャック
三島事件
ウーマンリブ

タクシー初乗り130円、ラムネ20円
ビートルズ解散

知床旅情
(加藤登喜子)
戦争を知らない子供たち
(北山修)
走れコウタロー
(ソルティー・シュガー)
2 5日、テレビ番組「Paris Show」、
12日、「Music Hall Ce soir spéciel François Deguelt」に出演。
3 クロード・ルルーシュ・プロの製作による映画 "CA N'ARRIVE QU'AUX AUTRES"の音楽を依頼される。
11日、オランピア劇場で行われた「サン・ラファエル明日のNo1」で「Un train ce soir」「君との愛がすべて」「愛の願い」「ステキなランデブー」「渚の想い出」など10曲程歌う。
29日、テレビ番組「Télé Dimanche」に出演

今夜の列車
アベク・ニニ
5 27日、ペリグーからツアーが再開されるはずだったが突然の乱闘事件がこのリサイタルを中止に追い込み、そのためモネトーのヨンヌではコンサートの4日前若者達が暴動に走る騒ぎにまでなった。  しあわせの足音
あき屋の中で
4日、パリ郊外のルイユ・マルメゾンで 一人の“ファン”が客席から舞台に上がり、ポルナレフに跳びかかるや顔のど真ん中を殴りつけた。
「あれは僕の人生の決定的な一打となった」
会場のすぐ隣の兵舎の連中の悪ふざけによるもの。

11日、予定されていたオランピア公演が中止となる。 ポルナレフはボーモン・シュル・オワーズの病院に6月初め静養のため入院する。
           
忘れじのグローア
僕は男なんだよ
9 11日、ルシアン。モーリス自殺
12日、ヴァンセンヌの森のユマニテ祭にピンクフロイドと共にゲスト出演する。
10 フォントネー・オ・ローズ(10月9日)シャラントン市営劇場(10日)コロンブ(14日)ナンテールのアマンディエ劇場(15日)ボヌイユ(16日)クラマール(17日)メゾン・アルフォール(18日、19日)ルヴァロア・ペレ(20日)ショワジー・ル・ロワ(21日)サントゥーアン(22日、23日)フォントネー・スー・ボワ(24日)バニュレ(27日)エピネイ・シュル・セーヌ(29日)
11 ブラジル公演。リオ及びサンパウロ。
 ニューアルバムのレコーディングがロンドンのランズダウン・スタジオで開始される。 このセッションには「ブルーミング」のメンバーとアレンジャー兼サウンド・クリエーターとして知られるビル・シェファードが参加した。
12 10日、パリのホテルジョルジュ・サンクでニューアルバムの発表を行う。
1970年は180万枚を売上げる。
(テレビ映画)
ジャン・ピエール・オーモンのテレビ映画「La pomme de son œil」の音楽を担当する。
POLNARECORD fan   michel polnareff
 TOP  FRANCE  JAPAN  CONCERT
1971~1983 1984~2007 
次頁